2009年1月1日木曜日

英語圏のサイパンで迎える新年

0:00時前からカウントダウンが始まり、花火が一斉に打ち上げられる。
毎年のことながら、年に一回の行事だからついつい参加してしまう。
2009年の幕開けは花火と爆竹でスタート、例年変わり映えしない光景だが、昨年からの世界恐慌のせいか、花火の本数が少なく感じられるのは気のせいだろうか。

英語圏で人種のるつぼであるサイパンは、新年も1月1日・旧正月と、人種によって祝う日が違うはずなのだが、そんなことは気にせず両方ともお祝いしてしまうのがサイパンスタイル。

さすがに進学塾のKohinoorも、今日は通学してくる生徒はいないのだが、昨日までは教育熱心な一家が、TOEFLとSATの集中レッスンのため日本から来ていた。
クリスマス~年末にも拘わらず、熱心に勉強している中学生や小学生を見ていると、教えるこちらも自然と力が入ってくる。
そうしている時、ふと頭をよぎったことがある。

2008年アメリカのサブプライム問題に端を発した、倒産することなど微塵も考えられなかったAクラスの金融機関が軒並み倒れていった。
今までアメリカでファイナンスのプロとして活動した経験のある私からすれば、銀行よりも信用力のあるAランクの企業が倒れるということは、今後どの企業が倒産しても全くおかしくないという、究極の世紀末が起こるとさえ感じた。

今後何をすべきなのかは、先が読めないので本当に予測が難しいのだが、経済の基本である需要と供給のバランスを考えると、モノではないような気がしている。
学生時代だったので約30年前、インビジブルアセットという言葉が好きで、モノに縛られない目に見えない資源・資産が今後の世界を変えていくのではと常々思っていた。

そう考えながらも、資源の兆本である石油業界にかかわり、資源の少ない日本に少なからず貢献していると自負していたものだった。
世界の企業ランクではトップ10に必ず大手石油メジャーが入っているのも、資源を扱っているので当然のことだが、モノには限界がある。資源にも限界があると感じ始めたころに、ファイナンスの可能性を模索した。
いわゆるマネーゲームである。

日本では、プライベートエクイテイファンドやM&Aは、良い印象には取られていないが、アメリカやヨーロッパでは企業経済活動の一つとして市民権を得ている。
日本では、インサイダー取引や投資法違反などでことごとく逮捕されたりしているが、それは間違った方法で取引や商行為を行ったため、つまりアマチュアだったからという一言に尽きる。

マーケティングやM&Aをアメリカで行っていると、本当の人間の本質とは一体何なのだろうとつくづく考えさせられた。
学生時代に思っていたインビジブルアセットは、こんなことではない。
モノを扱わずにお金を扱うことが、インビジブルアセットを生んでいるのではない。

ひどく反省している時期に、たまたまマーケティングのためサイパンに来る機会があった。
うらびれた島で刺激がない所、しかし住んでみると人種のるつぼなので、何事にしてもスケールはアメリカ・日本よりずっと小さいのだが、日々、自然や異文化によるちょっとした感動が体験できる不思議な島であった。

この素晴らしい環境の中で、子女たちを育てたら、もっと価値観の異なった子女が育つのではと考えるようになった。
刺激は大学生になってからで構わない、それまで知識と知恵を充分に蓄え、アメリカ・日本へ巣立っていけばよい。
きっとインビジブルアセットは子女の頭の中にあり、育てなければならないと思うようになっていた。

よく子供には可能性があり、夢があると誰もが認めているが、その可能性と夢を実現するために何を今すべきなのかを明確にした学論・通説はあまり見かけない。
私もまだ断言はできないが、子女を自然環境の良い所で、最高の教育を施し、世界共通語である英語のスキルと異文化コミュニケーションを身に着け、世界を知ること、ここまでできればまず及第点ではなかろうか。

インビジブルアセットは、モノにとらわれない、こだわらない究極の資産・資源だから、子女の頭に日々知識・知恵を植え続けると、文字通り『目に見えない資産』が開花すると考え始めた。
年末の集中レッスンを終えた今、2009年に何をすべきなのか、学生時代から自身に問いかけ続けた一つの答えを掴んだ様な気がする。

0 件のコメント: