2009年1月12日月曜日

英語は若者文化の象徴か?

世界で英語を話す人は4分の1ぐらいだと言われている。
なぜ英語が世界共通語として使われるようになったかについては、様々な考え方がある。

まず強大なアメリカの政治・経済力に関係しているという考え方、しかし現在の英語圏である諸国は、戦略的に英語を世界の共通語として広めようとしてきた事実はあまり見当たらない。

EUにしても統一されたことはよいが、共通語がないのでどうしても英語が共通語として使用される。それほど英語はできた方が良いのだ。

ところが政治・経済の枠を乗り越え、英語が若者たちに圧倒的な支持のもとに広がっているという考え方もある。
英語ができれば海外に行っても困らない、出世・所得にも関係する、音楽もインターネット社会もそうだ。

国家戦略的に英語が広められたのではないと考えると、英語ができればよいという考え方はもはや古いのかもしれない。
世界共通語としての英語が必要で、できなければ今後は世界に取り残されていくしかない、そんな時代が間直に迫っているような気がする。

英語圏であるサイパンに居住していると、もっと如実にこのことを感じさせられる。10数ケ国以上の国籍の人種が、コミュニケーションを計ろうとすると英語しかない。
英語ができないと仕事ができない、勉強ができない、コミュニケーションを必要としない寂しい生活しかできない。

若者たちに支持されている英語だから、この先しばらくはこのトレンドが続くであろう。日本人は、このトレンドに乗り遅れている傾向が強いので、いつまでも英語が話せたらいいなとのんびりしたことを言っていると、アジアの諸外国に政治・経済面で引き離されていくことは間違いない。
それが証拠に、サイパンでトップクラスの生徒たちはほとんどが韓国人の生徒たちである。

最近来られた、日本のインターナショナルスクールに通学されているお子様をお持ちの人も、クラスのほとんどが韓国人生徒だと言っておられた。
日本国内でさえそのような状況になってきているのだから、この真の脅威を日本の若者たちは、身近に感じた方が良い。トレンドから、そして世界から取り残されないように。

0 件のコメント: