2008年11月21日金曜日

アメリカの教育のすばらしさを知る

サイパンはアメリカ領なので、教育システムはアメリカのシステムとなっている。当初学習塾Kohinoorの生徒たちを教え始めたころは小学生がメインで、算数の掛け算・割り算といった基礎からのトレーニングだった。それ以前の繰り上げ、繰り下げの加減ももちろんのこと。その際に思ったのは、K式に代表される日本人の計算能力のレベルの高さであった。諸外国の生徒たちと比較して、何と日本人の生徒たちの加減乗除計算の速いこと、正確なこと。これは日頃から訓練されている成果だと日本人としての優越感に浸ったものだった。ところがいざ算数の文章問題になったときこれが逆転する。英語で書いてある文章の内容が解らないのだ。もちろん英語力をつけていけば内容もわかるようになってくるのだが、現地の子でさえ文章問題は苦手だ。後に文法教育を小学生低学年児にはあまり行っていない結果だと判った。

テキストはどの教科も日本と比較して驚くほど分厚く、3cm~4cmもある科目もある。なぜこんなに分厚いのが必要なのだろうと思い開いてみると、日本の参考書に近い仕立てで作られていて、説明・例・問題など懇切丁寧に記述されている。こんなに重い本を持って歩くのは大変だなと思ったりしたが、実際のところ通学は車で保護者が送迎するので、教室から校門までの辛抱で済む。

テキストの内容は出版社によって若干異なるが、算数の場合だと、学校の先生が黒板を使って説明する内容を全てテキストに書いてあると言っても過言ではないだろう。とにかく丁寧に説明・例が盛り込まれている。これ一冊あれば参考書・問題集などは多分必要ないと思える内容だ。これだけの内容が盛り込まれているのでもちろん授業内ですべてが完結できるわけがないので、問題部分は宿題となり、Kohinoorに生徒達が持ち込んでくる。授業で理解できなかったことを補習、宿題のチェック、プライベートレッスンでは予習までこなす。

面白いことに、英語圏であるサイパンの小・中公立校では、生徒一人一人にテキストが行き渡っていない。確かに1冊$100以上もするシロモノだから全教科そろえるとなると$1,000以上になる。結果、数人に1冊だからもちろんテキストを使った宿題はまず無い。

一転私立校は、各自テキストを1冊づつ年間有料賃貸され、テキストを数年間使いまわすことになる。これは学校にかかる保護者の経済的負担を考えるとよい方法だと思う。使いまわすわけだから、もちろん書き込み禁止、テスト前などにマーカーなども使えないわけだ。

アメリカの教育の何が素晴らしいかというと、各科目その学年で履修したことを元に、次の学年ではステップアップし、内容をどんどん掘り下げステップアップしていくところにある。日本の場合、国語・算数は明らかにステップアップ法式であるが、他の科目は細分化され履修したところだけを着目する傾向がある。

特に自然科学に対する教育は、さすがその分野で先進国であるアメリカだけあって、観察・事象・原因・結果・考察などといったステップを無理なく、広い範囲の分野を総合的に教えている。生物・化学・地学・物理・電気・天文学など各分野の内容は、小学生が使うテキストに日本の高校生レベルの内容が一部盛り込まれている。

また社会も面白いのだが、地理は一般的だがアメリカ史は歴史が短いアメリカだけあって、とにかく内容が深くて盛りだくさん。学生時代に専攻したアメリカ経済史にも出てこなかった人物・事件・政策・経済といった内容までも生徒たちは覚えることになる。

日本人は今後世界に出ていかないと立ち行かないことは以前にも述べたが、同盟国であるが経済的にはライバルになるアメリカ人の思考パターンを知るためには、小・中学生のころからの基礎的教育が どのような内容で行われているのか知ることは非常に重要だ。
アメリカ人は暗算に弱いとか引き算が得意でないとかよく言われるが、それは教育のレベルでは算術のほんの一部にしか過ぎず、全体像を表現しているのでは決してないということだ。

なぜアメリカの科学技術が先端をいくのか?基礎研究・応用・開発・マーケティングまでを世界的規模で展開できるのか? IT産業を見ても明白なように、コンピュータのプログラムは日本語ではない。開発した人種が指導力を持つことになり世界を圧巻する。いづれ言語の壁は克服することができるだろうが、時間はかかる。今使っているPCも、もともとあるプログラムやソフトを日本語に置き換えているだけだ。

日本人は世界に通用する素晴らしい才能を持っている。このことに気づいたアメリカ人マッカーサー元帥は、終戦後占領下である日本に対し、英語を義務教育として押しつけなかった。英語という武器を日本人に持たせたら近い将来、日米経済戦争に負けると判断したからだと聞いたことがある。これは的確に日本人の姿を捉えている。日本の教育水準は受験体制の産物だろうが高いレベルにある。しかし世界で通用するためには、アメリカをもっと知ること、つまり時代背景を含め、アメリカ人の考え方とその思考パターンの基幹を司っているアメリカの教育のことをもっと知る必要があるということだ。

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